
第一章:視察の栄光
韓国の仁川国際空港に降り立った瞬間、むっとする湿った空気が肌に絡みついた。
出迎えの車に乗り込むと、社長をはじめとする上層部は談笑しながら煙草を吹かし、視察の名目で訪れた韓国工場の話よりも、今夜の酒の席のほうが話題の中心になっていた。
「まあ、景気はいいんだからよ、こういうときくらい楽しまねえとな?」
隣の部長が肩を揺らしながら笑う。だが、車内での雑談を聞いていると、視察が単なる”買い付け”だけでなく、華やかな接待付きの”娯楽”として位置付けられていることは明らかだった。
視察の本当の目的は、韓国・台湾からのブラウン管の買い付けだ。自社製の業務用ディスプレイを組み立てるため、部品調達は欠かせない。しかし、この買い付けは単なる業務ではない。上層部にとっては”成功者の証”のような意味合いを持っていた。
ホテルに戻ったあと、社長がウイスキー片手に上機嫌で話し始める。
「一列に並んでるんだよ。いいと思った子を指させばOKってわけ。まあ、選んだら生理だったんだけどさ、引きがいいのか悪いのか、笑っちゃうよな。」
誰もが苦笑しながら、社長の話を聞き流していた。
営業の田村は明らかに不快そうな顔をしていたが、何も言わずグラスを傾けた。
彼は後にこう言った。
「視察って名ばかりだよな。技術の話より接待の話のほうが盛り上がってる。これじゃあ、会社の未来なんて見えねえよ。」
その言葉が妙に頭に残った。
彼は営業という立場だからこそ、冷静に会社の状態を見ていたのかもしれない。
自社のディスプレイ技術を高めるための視察ではなく、”成功者の歓楽”としての視察。
この時の光景が、俺の中で強く焼き付いていた。
栄光の裏側にあるものは、企業の文化そのものだった。
しかし、この華やかな視察の時代は長くは続かなかった——。
第二章:挑戦と挫折
「ノイズが消えない…。」
開発室の奥で、山崎は試作機の前に座り込んでいた。
白衣の袖をまくり上げ、何度も回路を調整し、データを見直す。だが、どうしてもクリアな映像が出ない。
俺は営業の田村とともに、その様子を見守っていた。
「いつも思うんだけどさ…技術って、期待と現実のギャップで人を追い詰めるよな。」
田村は苦笑しながら小さく呟いた。
山崎が休日返上で取り組んでいたことは誰もが知っていた。
人一倍努力していた。だが、悲しいことにうちの会社規模でプラズマモニターの開発が無理なのは誰の目にもはっきりしていた。しかし、あの社長が諦めない。投資した分を回収したいようだ。
「身の丈ってあるよな。どうしても自社ブランドで発売したいのならOEMでもなんでもやればいい」
そう思う人も多かったが彼に意見する人はいなかった。
半年後、山崎の姿は別人のようになっていた。
髪はすっかり白くなり、頭頂部は薄くなり、背中は丸まっていた。開発室の空気は沈み、誰もが彼の背中を見つめながら、言葉を失っていた。
「プラズマはもう駄目だ。」
その言葉が落ちると同時に、開発の空気は静寂に包まれた。
だが、営業部はまだプラズマの可能性を模索していた。
営業の城田部長は、他社製ではあるがPanasonic製のプラズマモニターを4台並べ、PCで制御し、「4分割モニター」をショーで展示するという試みを始めた。
当時の技術ではベゼルが厚く、まるで窓枠から景色を見るような見え方だったが、大型モニターが存在しなかったため、この展示は大きな話題を呼んだ。
「市場は、技術の完成度よりも、可能性を求めるんだよ。」
城田部長はそう言いながら、自信ありげに展示を見つめた。
この展示は注目を集めた。しかし、技術の壁は越えられなかった。
プラズマは次の時代へと進むことなく、企業は液晶へと方針を変えた。
開発室の片隅で、山崎は試作機を見つめながら小さく呟いた。
「もし、あの時もう少し時間があれば…」
山崎は責任を取らされ、しばらくして会社を去った。
今もあの時の言葉が、俺の中にずっと残っていた。
第三章:岐路に立つ決断
仕事を取ってくると社長に嫌われる——なんだ、それ?
営業の田村は、応接室で書類を整理しながら苦笑した。
「アミューズメントの注文が今でも入るんだよ。マリンちゃんのコインゲームが流行ってて、セット販売の契約が何本も取れた。でもな、社長に報告したら苦い顔されたんだ。」
俺は机の角に腰を下ろし、田村の話を黙って聞いた。
会社はアミューズメント事業から撤退し、専用モニターへと軸を移す方針だった。だが、市場はまだアミューズメント製品を求めていた。
「お前はどこへ行っても仕事を取ってくるな。」
社長は田村に向かって、そう言ったらしい。
「いや、俺、営業なんだけど。」
田村はその場で反論する気力もなく、静かに退職を決めた。
その後、彼はタイムスへ転職し、店長として成功を収める。
「年収、4桁万円だぞ?」
彼は電話越しに笑っていた。
一方、会社の空気は目に見えて変わっていった。
アミューズメント事業の薄利多売から専用モニターの高利少売へと方向転換していた。
専用設計モニターは高利益を狙う戦略だったが、開発部の負担は膨らみ続けた。
リストラで人員は減少し、薄利多売の時代は終わっていた。
俺は、田村が去った営業部を見渡し、静かに思った。
「これが決断の代償か。」
アミューズメント事業の幕が閉じ、新たな道が開かれた。
しかし、それは衰退の始まりでもあった——。
第四章:衰退の兆し
朝の工場は、以前とは違う静けさをまとっていた。
かつての活気はなく、聞こえてくるのは機械の単調な動作音だけ。
アミューズメント製品は薄利多売が基本だった。
人海戦術が可能だった時代には、それでも成立していた。だが、リストラで人員が削減されると、そのビジネスモデルは崩れた。
「専用設計の時代だ。」
社長はそう言い、新たな事業戦略を打ち出した。
しかし、その裏で開発部の負担は日に日に増していった。
「この仕様、もう無理じゃないか?」
山崎の後任として開発を担当する杉本が、設計書を見ながらつぶやく。
防水モニターの試作機が目の前にある。
従来の技術を応用しながら、新たな市場へ進出するための製品だった。だが、開発部の人員は減り、負担は過去最大になっていた。
「結局、ここも縮小していくんだろうな。」
杉本の言葉に、俺は何も返せなかった。
会社は生き残るための戦略を選択した。しかし、それは活気を失う道でもあった。
工場の稼働率が落ち、昼休みの談笑すら聞こえなくなっていく。
静かに、企業は衰退の道を歩み始めていた——。
第5章:漂流する企業と最後の灯
川越工場の売却が決まった頃、会社の変化は誰の目にも明らかだった。
かつての拡大の象徴であったこの施設は、事業転換の流れの中で、ただの負担へと変わっていた。
新たな工場は東松山へと移された。だが、その規模はあまりにも小さかった。
以前の設備のような余裕はなく、業務の進行は窮屈なものとなり、現場の空気はさらに重くなっていく。
この移転の過程で、会社は新たな業務に手を広げた。
ドライビングシミュレーターの生産が始まり、神楽精密株式会社(KPC)との取引が進んだ。
官庁案件は安定した受注が期待できるが、部品調達には資金が必要だった。
市場はまだ企業を支えるチャンスを残していた。
同時に、鉄道車両搭載用の電源も手掛けることになった。
だが、出荷検査は厳しく、自社では生産能力が落ちていたため、秋田の協力会社への外注を進めることに。
何度も出張を重ね、契約を取り付けるまでには相当な労力がかかった。
さらに、アメリカ向けの半導体洗浄用電源の開発も進んだ。
この部品に不具合が生じれば、被害総額は莫大なものになる。
会社はついに保険に加入し、リスク管理の必要性を強く認識することになった。
開発部も変化し、モニター部門と電源部門に分かれた。
俺はこの時期、昼間はワーカーとして働き、定時後になってようやく自分の仕事に取りかかる。
気がつけば、工場に最後まで残ることが増えていた。
「さて、帰るか。」
静かになった工場の中、門を閉めるのは俺の役目だった。
昼間の喧騒が消え、広い施設に一人取り残される。
かつては、遅くまで誰かが残り、開発に没頭していたものだ。
だが今は、仕事が終われば誰もがすぐに帰る。
川越から東松山へ移転したものの、それは事業の縮小を象徴していた。
かつての活気は戻らず、企業はひっそりと次の時代へと身を寄せる。
「この工場は、あと何年続くだろうか。」
静寂の中、会社の灯りは、少しずつ消え始めていた——。
第六章:再生という幻想
新たに立ち上げた「開発戦略会議」は、社長直轄のプロジェクトだった。選抜された数名の社員が定期的に集められ、「次の時代の柱」を話し合うという体だったが、実態は社長の思いつきを正当化するための場に過ぎなかった。
「今度のEV向け充電モニター、どう思う?」と訊かれても、基礎設計も市場性分析もない状態で答えようがない。だが、反論すれば排除されるのは目に見えていた。
その中で、かつての同僚・杉本は最後まで意見を述べ続けた。「再生の鍵は、“何をやるか”より“何をやらないか”の選別だと思います。」だが、会議が終わる頃には彼の意見は書記のメモからも消えていた。
やがて、その“開発戦略会議”も自然消滅した。プロジェクトは次々と打ち出されたが、収益化に成功したものは一つもなかった。
第七章:記憶のなかの栄光
倉庫の片隅に、初代のブラウン管ディスプレイがひっそりと置かれていた。厚く埃をかぶり、すでに誰の関心も引くことはない。だが、俺はふと足を止め、指先でその埃を拭った。
視察の栄光、挑戦と挫折、決断の岐路、そして静かな衰退。すべてが、この小さなモニターに象徴されているような気がした。
「技術ってのは、使い捨てられるのが運命なんだよな。」田村の声が、記憶の奥からよみがえる。
でも、たとえ使い捨てられても——
たとえそれが、一時の栄光だったとしても——
この“うつし”に込めた情熱は、俺たちの中に確かに生きていた。
そして今も、それを思い出すたびに、胸の奥が静かに熱くなるのだ。